☆日曜日 午前10時30分 聖日礼拝 週の始めの朝、私たちの造り主なる…続きを見る
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3月に入り、寒暖の差はあるものの、春の足音は確実に近づいているとの感触が日々に増しています。お変わりありませんか、今月もこころのリビングへようこそ!
この月は卒業や転勤の辞令等、変化に伴う節目を経験する方も多くおられることでしょう。これまでの慣れ親しんだ環境を離れて、新生活に臨む備えをするとき、期待と共に未経験から来る不安も大きくなるということがあります。
聖書の中に
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
とのすすめがあります。
この言葉は教会の中で初めて、聖書の背景を持つユダヤ人とは異なる文化を持つ人々への宣教師となったパウロが、その働きを進める中で、迫害を受け、投獄されたその獄中より、教会へ宛てて送った手紙の一節です。
そこには、為政者の意向次第では明日をも知れない命でありながら、自分の思いの及ばないことに対する一切を、神に任せる態度が表れています。「思い煩い」とは、直面している実際の問題よりも、まだ見ぬ先々の不安をあれこれ想像することから来る悩みであり、実際に踏み出してみれば、その多くが取り越し苦労に過ぎなかったということも少なくありません。先ほどの聖書には続きがあり
「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
とあります。
そこにはまだ見ぬ将来への不安をあれこれ悩む思いを超えた、神の平安が与えられるとの約束が記されています。
これは単なる生活の変化のみならず、様々な人生の転機、未経験の事態にあてはめられる約束です。まだ見ぬ先々を案ずるとき、すべてを支配し、すべてを益と変えることのできる神に、そうしたもろもろの思いを、そっくり祈るとき、人の思いを超えた平安のあることを、ぜひ味わっていただきたいと思います。
「まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家(神の臨在を身に覚えつつ)に住まいましょう。」 (聖書)
※各集会の様子は「igm秋田教会」で検索するとご覧になれます。
教会の名前となっている「インマヌエル」とは「神は私たちと共におられる」という意味の、聖書に記されていることばです。
それは、私たちが順境の時はもとより、困難、失望、孤独の中にあってさえ、神が共におられ、信ずる者の味方となってくださるということです。
教会で歌われる讃美歌の中に次のようなものがあります
「人生の海の嵐にもまれきしこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し」
教会は港のように人生航海の途上にある人たちが立ち寄り、神さまの愛と安らぎの中で休み、くつろぎ、養われ、整えられてゆく場です。
どうぞ、どなたも、ありのままの素の自分になってくつろげる、こころのリビングへおいで下さい。
なお、メールアドレスは以下の通りです。
igm.akita@softbank.ne.jp