☆日曜日 午前10時30分 聖日礼拝 週の始めの朝、私たちの造り主なる神…続きを見る
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10月に入り、秋の深まりと共に、朝晩の冷え込みを感じるようになってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。今月も心のリビングへようこそ!
実りの秋たけなわで、各地で収穫のニュースが聞かれる一方、次々と訪れる台風とその影響から、豪雨や長雨といった被害や影響の中で、深い悲しみに暮れている地域があることも覚えます。
聖書の中に
「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。」
という言葉があります。
「時がある」という言葉は、聞きようによっては、運命論めいた冷たい響きがありますが、著者であるソロモンはさらに「生まれるのに~死ぬのに~愛するのに~憎むのに~戦いの~平和の~」等々、人生の諸課題に向き合う私たちの喜怒哀楽を味わうタイミングや期間があることを告げた上で
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい~しかし人は神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」
と、これら時に関する言葉を締め括ります。
私たちが人生の途上で出会う様々な出来事は「時にかなって美しい」と呼ばれる「神のなさること」である、ということでしょう。しかもそれは、ひとりの人がこの人生で過ごす長さを上回るもので、私たちの目に、完成途上と見える中で終わりを迎えることがある、ということです。
今年はスペインの建築家アントニ・ガウディの没後100年を記念して、バルセロナの町で今も建設途上のサグラダ・ファミリア教会が話題に上りますが、ガウディは最初から、自分が生きている間に教会の完成を見ることはないことを見通していました。
ガウディの死後、スペイン内戦が起き、建設にかかわる大切な資料の多くが失われた後、残されたわずかな手掛かりをもとに建設は継続され、今も完成の途上でありながら、その教会を訪れる人々に無言のメッセージが語り続けられています。
私たちの人生も、ある部分だけを切り取るなら、そこに挫折や絶望しか見ることのできない「時」があるかもしれません。それは各々が避けて通ることのできない、つらい「時」であると共に、そこを通らなければ次の扉が開かれることのない、大切な通過点であったことが、それまでの歩みを振り返った時に初めてわかる、そんなことが人生にはしばしばあるといえます。
ある場面では「神も仏もあるものか‼」が正直な思いである場合もあることでしょう。しかし「神のなさることは時にかなって美しい」と語る聖書は、それを決してそのままにしてはおかれない「神のなさる」わざがそこにあり、それはしばしば「人は神が行うみわざを~終わりまで見極めることができない」と、今も私たちに語り続けています。
人が見極めることのできないその先々を語り示す聖書を、私たちの目に未完と見える問題に当てはめる時、将来への「希望」を抱いてその課題を捉え直し、今、自分にできることを続けつつ、未来に期待を置く歩みが可能であることをぜひお知りになれますように。
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練と共に脱出の道も備えていてくださいます。」
(聖書)
※各集会の様子は「igm秋田教会」で検索するとご覧になれます。
教会の名前となっている「インマヌエル」とは「神は私たちと共におられる」という意味の、聖書に記されていることばです。
それは、私たちが順境の時はもとより、困難、失望、孤独の中にあってさえ、神が共におられ、信ずる者の味方となってくださるということです。
教会で歌われる讃美歌の中に次のようなものがあります
「人生の海の嵐にもまれきしこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し」
教会は港のように人生航海の途上にある人たちが立ち寄り、神さまの愛と安らぎの中で休み、くつろぎ、養われ、整えられてゆく場です。
どうぞ、どなたも、ありのままの素の自分になってくつろげる、こころのリビングへおいで下さい。
なお、メールアドレスは以下の通りです。
igm.akita@softbank.ne.jp
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