☆日曜日 午前10時30分 聖日礼拝
週の始めの朝、私たちの造り主なる神さま…続きを見る
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新しい年を迎えました。本年も「こころのリビング」にようこそ。
希望を抱いて新年を迎えられた方もおられることでしょうし、また、今年、新たな環境に進まれる方もいらっしゃるでしょう。けれどもある方にとっては、長らく続く感染の拡大とそこから生ずる課題に、先行きの見えない不安を覚えているということがあるのではないかと思います。
聖書の中に
「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」
ということばがあります。これは、紀元前の昔、罪のために神に捨てられ、国を追われて他国の奴隷になり下がったイスラエルの民に対し、神さまのあわれみによって、彼らが以前にも勝る復興と繁栄を見るという預言です。
天幕とは、かつて彼らが約束の地カナンに入る以前に荒野を旅していた時の移動用のテントであり、すまいを意味しています。それを広げるとは、そこに住む人が増える事であり、人数の拡大は生活全般の祝福がその土台に考えられます。そうした恵みをもたらすお方によって、その規模は拡げられてゆくことですが、その民はかつて自ら持てる繁栄を失った経験を持つ人々です。
これまでの歩みの中で、大切なもの、あるいは人をなくしたという経験を持つ方がおられることでしょう。また、それまでできていたことや、自信を持っていたことが、様々な事情から失われていくこともあるかも知れません。
聖書は人間に対して神さまが「永遠のいのち」を用意しておられることを明確に語っています。それは一面からいえば、悲しみも痛みも涙もない天国への希望と言えますが、同時に、今持つことのできる神さまとの尽きない交わり、とも表現できます。
それは何が失われてもなくなることのない「私は神さまから愛されている大切な存在」という深いうなずきです。これがあるとき、あらゆる条件の中で自分を認めることができ、今、自分が手にしているものを最大限に活用したいと願う動機となります。
この新しい年に私たちが何を手にし、また何を失うかは予想もつかない事ですが、ぜひ、「決して失われることのないもの」を握って進まれますようにと願ってやみません。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」 聖書
各集会で語られる聖書のお話は「IGM秋田教会」で検索されると、YouTubeでご覧になれます。
また、メールアドレスは以下の通りです。
igm.akita@softbank.ne.jp
教会の名前となっている「インマヌエル」とは「神は私たちと共におられる」という意味の、聖書に記されていることばです。
それは、私たちが順境の時はもとより、困難、失望、孤独の中にあってさえ、神が共におられ、信ずる者の味方となってくださるということです。
教会で歌われる讃美歌の中に次のようなものがあります
「人生の海の嵐にもまれきしこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し」
教会は港のように人生航海の途上にある人たちが立ち寄り、神さまの愛と安らぎの中で休み、くつろぎ、養われ、整えられてゆく場です。
どうぞ、どなたも、ありのままの素の自分になってくつろげる、こころのリビングへおいで下さい。
なお、メールアドレスは以下の通りです。
igm.akita@softbank.ne.jp